が、その後、私は激しくホームシックにかかってしまいました。
その理由は、彼の友達と飲んだ夜がきっかけで・・・
英語が理解できなかった私は、彼以外の外国人と接しても
何のコミュニケーションも取る事が出来ず、友達と会わされても、
ただ笑っているだけの変な日本人。
みんなが笑っていても、わからない・・・
「何で笑ってるの?」と聞く私に、彼は「後で説明するよ・・・」と・・・。
透明人間状態に数時間置かれた私は、「日本に帰りたい!」と心から思い、
その帰り道から、翌朝までずーーーーっと泣き続けた。
それくらい辛かったというか、情けなかったというか、惨めだったというか
何とも言えない気持ちになっていたのでした。
そんな私を見かねた彼は、そこから6時間離れた私の友達(日本人)のいる
隣の州まで車を飛ばし、会いに連れて行ってくれたものの
それが余計に私をホームシックへ導いた。
その友達と別れて帰った週末・・・また彼の実家へ。
そして・・・・お土産を買いたいと言った私
なぜか、彼の母親と二人っきりで買い物へ出掛ける羽目に・・・
なぜそうなったのか今も覚えていないけど・・・多分、
買い物したいと言ってる私の話を聞きつけた母親が、
じゃぁ私が連れて行ってあげる・・・とかそんな感じだったと記憶している。
私は固まり、「なぜ????おかんとふたりきり?どうしろと?」
・・・・と思ったのを覚えてる。
もう日本に帰りたい、今すぐ帰りたい!もう英語なんてコリゴリ!
外国なんてコリゴリ!と思ってる女を放置した結果は
それはそれは最悪な結末でした。
母親は一生懸命話しかけてくれていました。
「どうしたい?何がほしい?どんなものが見たい?」
そう、何度も何度もゆっくりゆっくり子供に話すように話してくれました。
でも、もう、英語という言葉が耳に届かない私は、その言葉を完璧に無視して
「I don't know!」といい続けたのです。
何を言われても、わからない・・・のではなく、聞かない。
母親は、それでもめげずに、今度は紙に書きました。
その紙を今も捨てれずに持っていますが・・・今読むと泣けます(笑)
「何がしたいですか?何がほしいですか?どこへ行きたいですか?」など
初心者にもわかる英語がわかりやすく並んでいます。
でも、その時の私には届きません。
目をつぶり、耳をふさいで首をブンブン振っているような状態でした。
そして最後に一言つぶやいたのは
「I want to go back home」
あ~あ。
母親も諦めました。
そして、実家から彼のアパートへ帰る道、私はまたもや泣いて泣いて泣いて
「日本に帰りたい!」と言い続け、彼を困らせ続けました。
なんたる恥さらしな日本人でしょうか・・・
なぁんて、今なら笑えますが、当時の私は笑えませんでした。
結果、笑顔をなくした私を彼は悲しそうに見送りました。
日本に帰って私が最初にやった事・・・それは、英語の参考書を買いに行くことだった。
その日から、中学1年生からの英語をやりなおしました。
単語・熟語・文法・・・大検の受験勉強以上に参考書と向き合った。
とにかく悔しかった。何もかもが・・・
その1年後、母親と電話で話せるまでにはなったけれど、
この話は、今も忘れられないくらい私の心に深く刻まれる出来事で・・・
最悪のシチュエーション・・・と言われたら、最初に思い出す出来事でもあります。
彼に迷惑をかけた気持ちはほぼ0に近いけれど、
母親に対しては本当に最悪だったと思う。
もう15年以上前の話だけど、この出来事がきっかけで、
毎年ひとりで海外へ出掛けるようになって、外国人の友達が増え
それなりにコミュニケーションが取れるようになった今がある。
ものすごい影響力だったと思うし、私にとっては良かったけれど
あまりにバカな日本人代表で母親にとってはトラウマになったかもしれない。
彼氏や彼女の母親と二人きり・・・それもほぼ初対面。
そんな時あなたならどうする?
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